2003年1月29日、すでに終了したと言われるクローン猫達の作成ですが、これを依頼した民間企業は、A&Mのクローニングプログラムに数百万を投資しましたが、実際はヒマラヤン猫だけをつくるように命じました。しかし、出来上がったクローン猫は三毛猫でした。
クローン猫の失敗
マンクス猫達や、兎足の猫達で有名なマンクス島ですが、1988年以来猫のシリーズのコインが発行されています。2005年はヒマラヤン猫達で母猫と子猫達が表現されています。このコインはニッケルや銀でつくられています。
                    マンクス島のコイン
                                 世界の非公認最小猫のお話 
ギネスの非公認最小記録に一匹のヒマラヤン猫の名前がある。
米国イリノイ州のブルーポイントヒマラヤン猫の雄猫ティンカートーイは体高7センチ、体長19センチで、1993年8月31のNational Enquirerに掲載され、残念ながら1997年11月に死去した。同時に、ティンカートーイは、もっとも軽い猫としてワールドレコードに掲載され、重さ8オンス(シャンプーの小ボトルの半分の重さ)で長さは小切手帳のサイズとか。。。4年間の生存と言うから驚く。

現在生存中の猫最小猫の体高が9.52センチ、体長38.1センチと言うから、それを大きく上回る記録だ。ギネス公認の体高の低さは、遺伝的に体高の低い猫である。

米国で、そこで誕生するヒマラヤン猫達が小さいけれど健康なので、ミニチュアヒマラヤンを繁殖していると言う方針のキャッテリーを見かけたことがあるが。。。


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その昔、大阪新聞に掲載されたヒマラヤン猫が日本にも居ました。

今から約30年程前、日本での初めてのヒマラヤン猫の輸入の際、雄雌2匹のヒマラヤン猫が輸入されましたが、当時500万したと言われる珍しいその猫を一目見ようと空港職員が蓋を空けた後に閉めなかったようで、飼い主が猫を受け取ったとき、キャリーの中はもぬけの空でした。

空港は大変な大騒ぎになり、当時の「国際問題にまで発展する」と自衛隊まで捜索にあたりましたが、とうとう1匹の猫は見つかりませんでした。この話は、当時の大阪新聞に掲載されたそうです。

一ヵ月後、この猫は空港の縁の下からひょっこり現れ、事なきを得ましたが、この猫は家の中に入ることを嫌うようになってしまい、1日の大半を家の前の塀の上で過ごしました。

500万の猫が塀の上に自由にしていると、近所の人々の間では有名な話だったそうですが、今では考えられないようなノスタルジックなお話です。また、当時、猫を輸入しようと言うような人達は、とても裕福な家庭層でした。


また折を見て日本の歴史項目の方に詳細を入れたいと思います。このような猫達の日本での歴史のうつり変わりは、調査してもはっきり記録されていないので年々風化しつつあり、他種の方達にも記録することをお勧めします。
大阪新聞に載ったヒマラヤン猫
2000年5月7日の香港日報にミミと言うヒマラヤン猫が動物保護協会から勇敢賞を貰ったと言うニュースが掲載されました。

この、去年強盗を撃退し、勇敢賞を得たミミは、飼い主の危機を救った勇敢なヒマラヤン猫で、飼い主の娘さんにとっては、単に噂好きな猫です。

危険を承知で、命を顧みず人を救助することや、苦痛を身に受けても、他人を恨まず、徳に返す事(以徳報怨)、これらは皆が出来る事では有りません。しかし、猫のミミちゃんと、犬の明ちゃんは、これらをすることができました。

今週、彼達が動物保護協会からペット大賞--勇敢賞、そして、人類最佳友達賞を受賞します。



「前は猫が飼い主を救ったなどと言う話を聞いても、それらはつくり話だと思ってました」と、ミミちゃんの飼い主の欧陽さんはそう語ります。記者の目の前に居る3歳のヒマラヤン猫は、飼い主を救助した事で街の人気猫になり、今週、ただ一匹が選ばれ、第一届動物保護協会ペット大賞勇気賞をミミちゃんは貰うことになりました。

1999念4月27日午後、欧陽夫人が食事を終わって自宅に戻り家に入ると、金や宝石等を物色している泥棒に出くわし、慌てた泥棒はドライバ−を欧陽夫人の右手に突き刺さし、腹を足で踏みつけ、欧陽夫人の顔は、歯が何本も抜け落ちるほど殴られ意識が遠のいていきました。興奮した泥棒は意識の朦朧としている夫人をさらに殴打し、最後に鉄棒を頭に振り下ろそうとした時、欧陽夫人は、ぼんやりとした意識の中で、(あわや、これて死ぬのか)と覚悟を決めました。

その時です!

夫人の愛猫であるヒマラヤン猫のミミが5-6フィ-ト位ジャンプし、勇敢にも夫人と泥棒の間に割って入り、泥棒の首に噛み付いたのです!
驚いた泥棒は、首にミミちゃんの噛んだ4つの歯型を残し退散しました。

本来穏やかで人に懐こいペルシャ種の猫が、そんな風に泥棒に攻撃するのは珍しく素晴らしいことだと思うと動物保護協会の獣医さんも言い、欧陽宅にはもう一頭ペルシャ猫のフィフィが居ますが、ペルシャ猫のフィフィの方は、その日は怖がって1日中セキュ−リテイボックスの中に隠れていました。

欧陽夫人の娘さんは「ミミは人の噂を聞くのが大好きよ」と笑って言いました。ミミは人の会話を聞くのをとても楽しんでいて、近隣の人々にもそれらは有名な話です。

97年頃、ヒマラヤン猫のミミが欧陽宅の一員となった時には、片手ほどの大きさだったのに、成長するにつれ段々とミミは人の心がわかるようになっていきました。ミミはくつろいでいる時、両手を窓沿いに垂らして外や隣の声を聞いています。「この前、ドアが風の為に急に閉まって、ミミが家に入れなくなってしまったら、ミミは隣のお婆さんの家に訪ねて行き、隣のお婆さんがミミを連れて来てくれて玄関のベルを鳴らし、安全に家に戻ったのよ。」本当に、ミミちゃんは賢い猫です。



人類最佳友達賞を貰った明ちゃんには悲しい過去の物語があります。

生後6週位の明ちゃんは、元は野良犬で町に生活していました。楽華郡で11歳の2人の子供達が意地悪をして、明ちゃんに火をつけました。明ちゃんの火傷は重症で、内出血で半分以血液を無くし、無意識に陥ったのです。

この子供達は、その後、検察署に動物虐待として懲役。動物保護協会人達と一緒に動物保護協会に保護された明ちゃんを訪れ、動物を愛する大切さを勉強しに行きました。明ちゃんはこの二人に会いましたが、怖れるでもなし、憎むでもなし、何事も無かったように2人の子供達と、楽しんで一緒に遊びました。

明ちゃんは、その後イギリス夫婦の家に引き取られ、洋名も付き、BILLYと言います。今、港島南区に贅沢な生活をして暮らしています。毎日1000FEETの庭に走り、遊んでいます。。。

成犬になった今も、子犬時代の虐待事件のことも心に傷を残さず、子供に会うと、喜んですぐに尾を揺らし一緒に遊びます。

これは香港でニュースになった飼い主の危機を救った勇敢なヒマラヤン猫のお話です。
香港の猫友から、ニュースになったヒマラヤン猫が居ると言うので、その記事をスキャンして送って貰い、友人を介して台湾の猫友に日本語に翻訳して貰ったものを再びまとめてみました。協力に感謝。m(_ _)m

ヒマラヤン猫の大人しいばかりでなく、いざと言う時は、勇敢さや賢さも併せ持つことを伺わせるエピソードです。この新聞記事を読んで、普段大人しい猫が自らの危険を顧みず飼い主を救ったことに、香港の人々は大変驚き感動しました。私自身もヒマラヤン猫達を飼っていて、日頃、人の気持ちを良く理解する猫だと思っています。

飼い主を救った勇敢なヒマラヤン猫のお話 

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